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小林麻央さんがBBCに寄稿したエッセイを英文と日本語で読む「人生は一度きりだから、色どり豊かなものに」

乳がんでなくなられた小林麻央さんが生前BBCに寄稿したエッセイは、BBCの大井真理子氏によって英文にも翻訳されており、両方の言語で読むことができます。とても心に響く内容なのですが、ここでは英語の勉強として読んでみたいと思います。英文は完全な逐語訳になっていない部分があります、というかいくつかの文は対応する英訳がないようです。日本語の文と対応する英語の文をできるだけ近くに配置して、英語学習の便宜を計るようにしました。長いので適当に見出しをつけて区切っておきます。英語を解説するのも野暮な気がしますのでやめておこうかと思いましたが、それではこのウェブサイトの存在意義がなくなるため、いくつかコメントしてみます。

乳がんであることが発覚

2年前、32歳の時に、私は乳癌であることを宣告されました。Two years ago, when I was 32, I was diagnosed with breast cancer.

娘は3歳、息子はまだ1歳でした。My daughter was three, my son was only one.

「治療をして癌が治れば、元の自分に戻れるのだから、大丈夫!」と思っていました。I thought: “It’ll be OK because I can go back to being how I was before once the cancer is treated and cured.”

けれど、そんなに簡単ではありませんでした。今も、私の身体は、がんと共にあります。But it wasn’t that easy and I still have cancer in my body.

diagnose は診断を下す。 diagnose ~ with ~を…と診断する(ALC)。病名がWITHの後にきます。受動態で用いられることが多いような気がします。

【例文】When Apple founder Steve Jobs was diagnosed with pancreatic cancer in 2004, the iPhone was still three years away from being introduced and the iPad may have been just a glimmer of an idea in his imagination. (出典:bostonglobe.com

テレビキャスターとしての苦悩

私は、テレビに出る仕事をしていました。病のイメージをもたれることや弱い姿を見せることには「怖れ」がありました。なので、当時、私は病気を隠すことを選びました。For a long time I hid the disease. Because my job involved appearing on TV I was scared about being associated with illness or showing people my weaknesses.

隠れるように病院へ通い、周囲に知られないよう人との交流を断ち、生活するようになっていきました。I would try to avoid being seen on the way to hospital appointments and I stopped communicating with people so as not to be found out.

scare は「~を怯えさせる」という他動詞で、過去分詞の形scaredは、形容詞。 be scared of ~ で、「~を怖がる」というのは受験勉強でよく目にする熟語だと思いますが。be scared about ~ と、前置詞にaboutをとることもあるようです。「~に関して心配している、恐れている」。

be associated with ~ は、「~と関連した」というおなじみの表現。

so as to ~ は、「~する目的で」というこれまた受験生には馴染み深い熟語かと思います。

気付きと考え方の変化

1年8か月、そんな毎日を続けていたある日、緩和ケアの先生の言葉が、私の心を変えてくれました。「がんの陰に隠れないで!」私は気がつきました。元の自分に戻りたいと思っていながら、私は、陰の方に陰の方に、望んでいる自分とはかけ離れた自分になってしまっていたことに。But while wanting to go back to who I was before, I was actually moving more and more towards the shadows, becoming far removed from the person I wanted to be. After living like that for 20 months, my palliative treatment doctor said something that changed my mind. “Don’t hide behind cancer,” she said, and I realised what had happened.

何かの罰で病気になったわけでもないのに、私は自分自身を責め、それまでと同じように生活できないことに、「失格」の烙印を押し、苦しみの陰に隠れ続けていたのです。I was using it as an excuse not to live any more. I had been blaming myself and thinking of myself as a “failure” for not being able to live as I had before. I was hiding behind my pain.

palliative【名】一時しのぎ(の手段)《医》苦痛緩和剤【形】〔悪い状態を〕一時的によくする《医》〔苦痛・症状などを〕一時的に和らげる[緩和する] これは自分も知らない単語だったのでALCに頼りました。

hide behind 「~の陰に隠れる」 これまたALCから借用した例文ですが、hide behind a curtain 「カーテンの後ろに隠れる」

I realised what had happened. WHAT節の中は、過去完了形です。realiseとSなのは英国式のスペリング。米国式スペリングだと、Zになりますので、realizeです。

母として、妻として

それまで私は、全て自分が手をかけないと気が済まなくて、全て全てやるのが母親だと強くこだわっていました。それが私の理想の母親像でした。Until that time I had been obsessed with being involved in every part of domestic life because that was how my own mother always behaved.

けれど、病気になって、全て全てどころか、全くできなくなり、終いには、入院生活で、子供たちと完全に離れてしまいました。But as I got ill, I couldn’t do anything, let alone everything, and in the end, as I was hospitalised, I had to leave my children.

自分の心身を苦しめたまでのこだわりは失ってみると、それほどの犠牲をはたく意味のあるこだわり(理想)ではなかったことに気づきました。When I was forced to let go of this obsession to be the perfect mother – which used to torture me, body and soul – I realised it had not been worth all the sacrifice I had made.

そして家族は、私が彼らのために料理を作れなくても、幼稚園の送り迎えができなくても、私を妻として、母として、以前と同じく、認め、信じ、愛してくれていました。私は、そんな家族のために、誇らしい妻、強い母でありたいと思いました。My family – even though I couldn’t cook for them or drop them off and pick them up at the kindergarten – still accepted me, believed in me and loved me, just like they always had done, as a wife and a mother.

be obsessed with ~ は、「~にとりつかれて」

domestic life 「家庭生活」

let alone ~ は、「~は言うまでもなく」 という頻出熟語表現。

hospitalise 「~を入院させる」もつづりが英国式でSになっています。米国なら、hospitalize

leave +目的語 は、「(目的語)から離れる」という意味です。leave my childrenは「子供たちから離れる」 I left Tokyo for San Francisco. なら、「東京を発って、サンフランシスコに向かった。」という意味になります。She left me. なら、「彼女は私の元を去ってしまった。」「彼女は(自分を残して)立ち去った。」という意味。しかし、S+V+O+Oの形で、She left me a note. 「彼女は私に書き置きを残した。」という意味。

force 人 to 動詞 は、「人に~(強制的に)させる」

let go of ~  「~から手を放す」「~を手放す」「~をとりのぞく」

be worth ~ は、「~の価値がある」   It is worth a sacrifice. 「それには犠牲を払うだけの価値がある。」 worth ~ingも頻出の形です。It is worth making a sacrifice. 「それには犠牲を払うだけの価値がある。」

drop 人 off  「(車で)人を送る、下ろす」

pick 人 up 「(車で)人を迎えに行く、拾う」

believe in 人 「人を信じる」 She believes in me. 「彼女は私のことを信頼してくれている。」 She believes me. だと、「彼女は私(の言ったこと)を信じている。」 believe in と、believeとでは若干ニュアンスが異なります。

ブログの開始

私は、闘病をBlogで公表し、自ら、日向に出る決心をしました。すると、たくさんの方が共感し、私のために祈ってくれました。So I decided to step out into the sunlight and write a blog, called Kokoro, about my battle with cancer, and when I did that, many people empathised with me and prayed for me.

そして、苦しみに向き合い、乗り越えたそれぞれの人生の経験を、(コメント欄を通して)教えてくれました。And they told me, through their comments, of their life experiences, how they faced and overcame their own hardships.

私が怖れていた世界は、優しさと愛に溢れていました。今、100万人以上の読者の方と繋がっています。It turned out that the world I was so scared of was full of warmth and love and I am now connected with more than one million readers.

empathize with ~ 「~に共感する」

It turned out that … 「…ということがわかる、明らかになる」

死について、生について

人の死は、病気であるかにかかわらず、いつ訪れるか分かりません。

例えば、私が今死んだら、人はどう思うでしょうか。If I died now, what would people think?

「まだ34歳の若さで、可哀想に」 “Poor thing, she was only 34”?

「小さな子供を残して、可哀想に」でしょうか?? “What a pity, leaving two young children”?

私は、そんなふうには思われたくありません。なぜなら、病気になったことが私の人生を代表する出来事ではないからです。I don’t want people to think of me like that, because my illness isn’t what defines my life.

私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、愛する人に出会い、2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した、色どり豊かな人生だからです。My life has been rich and colourful – I’ve achieved dreams, sometimes clawed my way through, and I met the love of my life. I’ve been blessed with two precious children. My family has loved me and I’ve loved them.

だから、与えられた時間を、病気の色だけに支配されることは、やめました。So I’ve decided not to allow the time I’ve been given be overshadowed entirely by disease.

なりたい自分になる。I will be who I want to be.

人生をより色どり豊かなものにするために。だって、人生は一度きりだから。

「人の死は、病気であるかにかかわらず、いつ訪れるか分かりません。」に対応する英文が見当たりませんが、訳すなら Whether we are ill or not, we do not know when death will come. くらいでしょうか。

My illness isn’t what defines my life. 私の病気が私の人生ではない。defineは「定義付ける、特徴付ける」という意味です。私の人生は私の病気によって特徴付けられるわけではない、の意味。このようなdefineの使い方はよく見かけますが、とても英語らしい表現なのではないかと思っています。

claw one’s way 「必死で先へ進む(爪で引っかいて障害物をかきわけながら進む)」(参照:ALC)

My life has been rich and colourful. 現在完了形です。現在完了形は、過去から現在に至るまでの状態を表すときに使います。colourは英国式つづりで、米国ならcolorです。

the love of my life 自分の人生における最愛の人、つまり、ここでは「夫」のこと。

「人生をより色どり豊かなものにするために。」も訳されていないようですが、この表現は既出なので、前文とあわせると、I will be who I want to be in order to make my life colourful and rich.

「だって、人生は一度きりだから。」を英語にするなら、Because we only live once. でしょうか。

参考にしたサイト

  1. がんと闘病の小林麻央さん、BBCに寄稿 「色どり豊かな人生」 BBC NEWS JAPAN 2016年11月23日 (日本語のオリジナルのエッセイ)
  2. 100 Women 2016: Kokoro – the cancer blog gripping Japan BBC NEWS23 November 2016 (エッセイの英訳)

Lost Generation ロスト・ジェネレーション

Lost Generationは、非常に巧妙に書かれた散文詩で、上から下に読み勧めても、逆に、下の行から上の行に読み勧めても意味をなします。ただし、見事に反対の意味になります。ネガティブな暗いないようだったのが、読む行の順番を後ろから前の方向にすると、希望が湧いてくる内容になっているのです。

Lost Generation (Palindrome Poem) 男性のナレーションとドラマ仕立てのストーリー。

文字を https://genius.com/Jonathan-reed-the-lost-generation-annotated このサイトから借りてきました。詩では改行された最初の文字は文の始めかどうかに係わらず全て大文字で表記されます。

I am part of a lost generation. 自分は失われた世代に属する。
And I refuse to believe that     私は信じない
I can change the world.       世界を変えることができるなどとは。
I realize this may be a shock, but   ショッキングなことだけど、
“Happiness comes from within”   「幸せは心の中から来るものだ」
Is a lie, and            というのは嘘だ。
“Money will make me happy”    「お金が自分を幸せにする。」
So in thirty years, I will tell my children     だから30年後に、自分は子供達に言うだろう
They are not the most important thing in my life. お前達は、自分の人生にとってもっとも大切なものではない。
My employer will know that     私の雇い主は知るだろう
I have my priorities straight because   自分は優先順位をしっかりとつけている
Work                仕事
Is more important than       のほうが、より大事
Family               家族よりも。
I tell you this:            これを言っておく。
Once upon a time          かつて
Families stayed together        家族は共に過ごした。
But this will not be true in my era.   しかしそれは自分の時代には正しくない。
This is a quick fix society       今の社会は、すべてがその場しのぎだ
Experts tell me           専門家は私に言う
Thirty years from now, I will be celebrating the tenth anniversary of my divorce.   30年後に、私は自分の離婚の30周年のお祝いをしているだろう。
I do not concede that               自分は認めない
I will live in a country of my own making.    自分が自分で作り出した国に住むだろうことなど。
In the future,                将来、
Environmental destruction will be the norm.   環境破壊が通常になtっているだろう。
No longer can it be said that           もはやこうは言えない。
My peers and I care about this Earth.      自分の仲間や自分は地球のことを大切にするとは。
It will be evident that             それは明らかであろう
My generation is apathetic and lethargic.    自分の世代は無感動で無気力だ
It is foolish to presume that          馬鹿げた思い込みだと思う
There is hope.                希望があるなんて。
And all of this will come true unless we choose reverse it.  これら全てのことが現実に起こるだろう。反転させると決めない限り。

逆から読んでいきます。日本語の特質上、英語の回文と同じ効果を出すように訳出するのは困難ですね。
There is hope.               希望はある。
It is foolish to presume that         馬鹿げた思い込みだと思う
My generation is apathetic and lethargic.   自分の世代は無感動で無気力だなんて。
It will be evident that            それは明らかであろう
My peers and I care about this Earth.     自分の仲間や自分は地球のことを大切にする。
No longer can it be said that          もはやこうは言えない。
Environmental destruction will be the norm.   環境破壊が通常になtっているだろうなどとは。
In the future,                 将来、
I will live in a country of my own making.    自分が自分で作り出した国に住むだろう
I do not concede that             自分は認めない
Thirty years from now, I will be celebrating the tenth anniversary of my divorce. 30年後に、私は自分の離婚の30周年のお祝いをしているなんて。
Experts tell me                専門家は私に言う
This is a quick fix society           今の社会は、すべてがその場しのぎだ
But this will not be true in my era.       しかしそれは自分の時代には正しくない。
Families stayed together           家族は共に過ごした。
Once upon a time               かつて
I’ll tell you this:                これを言っておく。
Family                    家族
Is more important than            のほうが、より大事
Work                    仕事よりも
I have my priorities straight because      自分は優先順位をしっかりとつけている。なぜなら、
My employer will know that          私の雇い主が知るのは
They are not the most important thing in my life. 彼らは、自分の人生にとってもっとも大切なものではないということだから。
So in thirty years, I will tell my children     だから、30年後に、自分は子供達に言うだろう
“Money will make me happy”          「お金が自分を幸せにする。」
Is a lie, and                  というのは嘘だ。
“True Happiness comes from within”       「幸せは心の中から来るものだ」
I realize this may be a shock, but        驚きだろうけど、
I can change the world.          世界を変えることができる。
And I refuse to believe that        私は信じない
I am part of a lost generation.       自分は失われた世代に属するなんて。

日本語で、逆に読んでもきっちりと意味がつながるようにするのは無理なことだと諦めました。



 

Lost Generation(若い女性によるナレーション)

Lost Generation(Brooke Wojdynskiさん(女性)のナレーション)

 

スティーブ ・ジョブズが2005年にスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチの動画

スティーブ ・ジョブズが2005年にスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチの動画です。何をしたいのかわからない、どんな生き方をすべきか悩んでいる人にはお勧めの動画です。生きる指針を与えてくれます。自分もときどき見返すのですが、毎回違う部分の言葉が心に刺さります。原稿はスタンフォード大学のウェブサイトで見ることができます(リンク)。この原稿と実際に話された語句には若干異なる部分があります。

大学を中退してマッキントッシュを作って売るための会社を興したスティーブ・ジョブズなので、こうして招かれて祝辞を述べる機会を与えられたことが、自分にとって一番大学卒業に近い経験だとジョークを言っています。

I am honored to be with you today at your commencement from one of the finest universities in the world. I never graduated from college. Truth be told, I never graduated from college and this is the closest I’ve ever gotten to a college graduation. Today I want to tell you three stories from my life. That’s it. No big deal. Just three stories.

I.点を繋げる話

点(Dots)というのは人生の若い頃にあれこれ様々なことに熱中することを指しています。一見ばらばらなことを夢中でやっててもそれが将来何の役に立つのかその時にはまったくわかりませんが、いつかかならずバラバラに見えた点が一つにつながって大きなことを成し遂げるのに役立つという話。

The first story is about connecting the dots.

I dropped out of Reed College after the first 6 months, but then stayed around as a drop-in for another 18 months or so before I really quit. So why did I drop out?

このような公の場で、彼は自分の出生の秘密を語りました。実は養子だったのです。このスピーチでは触れていませんが、実際には養子として出されたことが彼の心に大きな影響を与えていたことは、映画「スティーブ・ジョブズ」などでは描かれています。養子を希望する最初の夫婦は女の子が欲しかったため、生まれた結果男の子とわかり、順番待ちリスト上で2番目だった夫婦に希望するかどうかの連絡がなされました。生みの親は大学出の両親という条件をつけていたのですが、スティーブを養子にもらうことを希望していた夫婦は、妻は大学を出ておらず、夫は高校すら出ていないことが判明してしまい、養子縁組を認めない産みの親と引き取った側の夫婦との間での訴訟問題に発展してしまいました。折角養子として受け入れた赤ちゃんを奪われるかもしれないという状態で何ヶ月かを過ごした育ての親は、その間、心理的には非常に大変な状態だったようです。結局、スティーブを大学にやるということを妥協案として双方が合意するに至り、訴訟は決着をみました。ところが、馬鹿高い学費はこの労働者階級の夫婦にとっては全人生をかけた貯蓄に相当するものだったため、大学を卒業することに意義を見出せなかったスティーブは両親が貯めたお金が勿体ないからと、大学を中退することを決意したのでした。

It started before I was born. My biological mother was a young, unwed college graduate student, and she decided to put me up for adoption. She felt very strongly that I should be adopted by college graduates, so everything was all set for me to be adopted at birth by a lawyer and his wife. Except that when I popped out they decided at the last minute that they really wanted a girl. So my parents, who were on a waiting list, got a call in the middle of the night asking: “We have an unexpected baby boy; do you want him?” They said: “Of course.” My biological mother later found out that my mother had never graduated from college and that my father had never graduated from high school. She refused to sign the final adoption papers. She only relented a few months later when my parents promised that I would someday go to college.

And 17 years later I did go to college. But I naively chose a college that was almost as expensive as Stanford, and all of my working-class parents’ savings were being spent on my college tuition. After six months, I couldn’t see the value in it. I had no idea what I wanted to do with my life and no idea how college was going to help me figure it out. And here I was spending all of the money my parents had saved their entire life. So I decided to drop out and trust that it would all work out OK. It was pretty scary at the time, but looking back it was one of the best decisions I ever made. The minute I dropped out I could stop taking the required classes that didn’t interest me, and begin dropping in on the ones that looked interesting.

It wasn’t all romantic. I didn’t have a dorm room, so I slept on the floor in friends’ rooms, I returned Coke bottles for the 5¢ deposits to buy food with, and I would walk the 7 miles across town every Sunday night to get one good meal a week at the Hare Krishna temple. I loved it. And much of what I stumbled into by following my curiosity and intuition turned out to be priceless later on. Let me give you one example:

Reed College at that time offered perhaps the best calligraphy instruction in the country. Throughout the campus every poster, every label on every drawer, was beautifully hand calligraphed. Because I had dropped out and didn’t have to take the normal classes, I decided to take a calligraphy class to learn how to do this. I learned about serif and sans serif typefaces, about varying the amount of space between different letter combinations, about what makes great typography great. It was beautiful, historical, artistically subtle in a way that science can’t capture, and I found it fascinating.

None of this had even a hope of any practical application in my life. But 10 years later, when we were designing the first Macintosh computer, it all came back to me. And we designed it all into the Mac. It was the first computer with beautiful typography. If I had never dropped in on that single course in college, the Mac would have never had multiple typefaces or proportionally spaced fonts. And since Windows just copied the Mac, it’s likely that no personal computer would have them. If I had never dropped out, I would have never dropped in on this calligraphy class, and personal computers might not have the wonderful typography that they do. Of course it was impossible to connect the dots looking forward when I was in college. But it was very, very clear looking backward 10 years later.

Again, you can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backward. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something — your gut, destiny, life, karma, whatever. This approach has never let me down, and it has made all the difference in my life.

II.愛することと失うことについて

スティーブ・ジョブズはアップル社をスティーブ・ウォズニアックと二人で始めました。そして瞬く間に大きな会社に成長したわけですが、あろうことか、自分たつくったアップル社の経営陣と対立してクビになってしまいます。そこからどうやって立ち直ることができたのか、そのときの心の持ち方について語られます。

My second story is about love and loss.

I was lucky — I found what I loved to do early in life. Woz and I started Apple in my parents’ garage when I was 20. We worked hard, and in 10 years Apple had grown from just the two of us in a garage into a $2 billion company with over 4,000 employees. We had just released our finest creation — the Macintosh — a year earlier, and I had just turned 30. And then I got fired. How can you get fired from a company you started? Well, as Apple grew we hired someone who I thought was very talented to run the company with me, and for the first year or so things went well. But then our visions of the future began to diverge and eventually we had a falling out. When we did, our Board of Directors sided with him. So at 30 I was out. And very publicly out. What had been the focus of my entire adult life was gone, and it was devastating.

I really didn’t know what to do for a few months. I felt that I had let the previous generation of entrepreneurs down — that I had dropped the baton as it was being passed to me. I met with David Packard and Bob Noyce and tried to apologize for screwing up so badly. I was a very public failure, and I even thought about running away from the valley. But something slowly began to dawn on me — I still loved what I did. The turn of events at Apple had not changed that one bit. I had been rejected, but I was still in love. And so I decided to start over.

I didn’t see it then, but it turned out that getting fired from Apple was the best thing that could have ever happened to me. The heaviness of being successful was replaced by the lightness of being a beginner again, less sure about everything. It freed me to enter one of the most creative periods of my life.

During the next five years, I started a company named NeXT, another company named Pixar, and fell in love with an amazing woman who would become my wife. Pixar went on to create the world’s first computer animated feature film, Toy Story, and is now the most successful animation studio in the world. In a remarkable turn of events, Apple bought NeXT, I returned to Apple, and the technology we developed at NeXT is at the heart of Apple’s current renaissance. And Laurene and I have a wonderful family together.

I’m pretty sure none of this would have happened if I hadn’t been fired from Apple. It was awful tasting medicine, but I guess the patient needed it. Sometimes life hits you in the head with a brick. Don’t lose faith. I’m convinced that the only thing that kept me going was that I loved what I did. You’ve got to find what you love. And that is as true for your work as it is for your lovers. Your work is going to fill a large part of your life, and the only way to be truly satisfied is to do what you believe is great work. And the only way to do great work is to love what you do. If you haven’t found it yet, keep looking. Don’t settle. As with all matters of the heart, you’ll know when you find it. And, like any great relationship, it just gets better and better as the years roll on. So keep looking until you find it. Don’t settle.

自分が創業したアップルから解雇されたことは、煉瓦で突然頭を殴られたような衝撃だったと言っています。人生においてはそんなこともあるが、そのときに自分の信念を失わないことだと言います。

III. 死について

スティーブ ・ジョブズは膵臓癌を患いました。手術不能と当初診断され余命いくばくも無いことを医師に告げられたため、死と向かいあって生きることになりました。

My third story is about death.

When I was 17, I read a quote that went something like: “If you live each day as if it was your last, someday you’ll most certainly be right.” It made an impression on me, and since then, for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself: “If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?” And whenever the answer has been “No” for too many days in a row, I know I need to change something.

Remembering that I’ll be dead soon is the most important tool I’ve ever encountered to help me make the big choices in life. Because almost everything — all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure — these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important. Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose. You are already naked. There is no reason not to follow your heart.

About a year ago I was diagnosed with cancer. I had a scan at 7:30 in the morning, and it clearly showed a tumor on my pancreas. I didn’t even know what a pancreas was. The doctors told me this was almost certainly a type of cancer that is incurable, and that I should expect to live no longer than three to six months. My doctor advised me to go home and get my affairs in order, which is doctor’s code for prepare to die. It means to try to tell your kids everything you thought you’d have the next 10 years to tell them in just a few months. It means to make sure everything is buttoned up so that it will be as easy as possible for your family. It means to say your goodbyes.

I lived with that diagnosis all day. Later that evening I had a biopsy, where they stuck an endoscope down my throat, through my stomach and into my intestines, put a needle into my pancreas and got a few cells from the tumor. I was sedated, but my wife, who was there, told me that when they viewed the cells under a microscope the doctors started crying because it turned out to be a very rare form of pancreatic cancer that is curable with surgery. I had the surgery and I’m fine now.

This was the closest I’ve been to facing death, and I hope it’s the closest I get for a few more decades. Having lived through it, I can now say this to you with a bit more certainty than when death was a useful but purely intellectual concept:

No one wants to die. Even people who want to go to heaven don’t want to die to get there. And yet death is the destination we all share. No one has ever escaped it. And that is as it should be, because Death is very likely the single best invention of Life. It is Life’s change agent. It clears out the old to make way for the new. Right now the new is you, but someday not too long from now, you will gradually become the old and be cleared away. Sorry to be so dramatic, but it is quite true.

Your time is limited, so don’t waste it living someone else’s life. Don’t be trapped by dogma — which is living with the results of other people’s thinking. Don’t let the noise of others’ opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.

3つのストーリーが語られたあと、全地球カタログの話とそこからのフレーズが紹介されて、祝辞が締めくくられます。

When I was young, there was an amazing publication called The Whole Earth Catalog, which was one of the bibles of my generation. It was created by a fellow named Stewart Brand not far from here in Menlo Park, and he brought it to life with his poetic touch. This was in the late 1960s, before personal computers and desktop publishing, so it was all made with typewriters, scissors and Polaroid cameras. It was sort of like Google in paperback form, 35 years before Google came along: It was idealistic, and overflowing with neat tools and great notions.

Stewart and his team put out several issues of The Whole Earth Catalog, and then when it had run its course, they put out a final issue. It was the mid-1970s, and I was your age. On the back cover of their final issue was a photograph of an early morning country road, the kind you might find yourself hitchhiking on if you were so adventurous. Beneath it were the words: “Stay Hungry. Stay Foolish.” It was their farewell message as they signed off. Stay Hungry. Stay Foolish. And I have always wished that for myself. And now, as you graduate to begin anew, I wish that for you.

Stay Hungry. Stay Foolish.

Thank you all very much.

My life has been rich and colourful 私の人生は色どり豊かな人生でした - Mao Kobayashi 小林麻央 BBCに寄稿されたエッセイを英語で読んでみる

元テレビアナウンサーで闘病生活をブログで綴っていた小林麻央(こばやし まお)さんが2017年6月22日夜に療養中の自宅で息を引き取りました。34歳という若さです。BBCの2016年に世界に影響を与えた女性100人のうちの一人にも選ばれるなど、がんとの闘いを包み隠さずブログに書いて、大きな反響を呼び起こしていました。

小林麻央さんがBBCに寄稿した「色どり豊かな人生」を英語で読んでみたいと思います。小林麻央さんによる原文は日本語で、英語版はBBCニュースの大井真理子氏による翻訳です。1文ごとの訳でない部分があり、語句に関しても完全な移し変えになっていない部分があります。

Two years ago, when I was 32, I was diagnosed with breast cancer. My daughter was three, my son was only one. 2年前、32歳の時に、私は乳癌であることを宣告されました。娘は3歳、息子はまだ1歳でした。 I thought: “It’ll be OK because I can go back to being how I was before once the cancer is treated and cured.” 「治療をして癌が治れば、元の自分に戻れるのだから、大丈夫!」と思っていました。 But it wasn’t that easy and I still have cancer in my body. けれど、そんなに簡単ではありませんでした。今も、私の身体は、がんと共にあります。

For a long time I hid the disease. Because my job involved appearing on TV I was scared about being associated with illness or showing people my weaknesses. 私は、テレビに出る仕事をしていました。病のイメージをもたれることや弱い姿を見せることには「怖れ」がありました。なので、当時、私は病気を隠すことを選びました。 I would try to avoid being seen on the way to hospital appointments and I stopped communicating with people so as not to be found out.
隠れるように病院へ通い、周囲に知られないよう人との交流を断ち、生活するようになっていきました。

But while wanting to go back to who I was before, I was actually moving more and more towards the shadows, becoming far removed from the person I wanted to be. After living like that for 20 months, my palliative treatment doctor said something that changed my mind.

“Don’t hide behind cancer,” she said, and I realised what had happened. I was using it as an excuse not to live any more.

I had been blaming myself and thinking of myself as a “failure” for not being able to live as I had before. I was hiding behind my pain.
1年8か月、そんな毎日を続けていたある日、緩和ケアの先生の言葉が、私の心を変えてくれました。「がんの陰に隠れないで!」私は気がつきました。元の自分に戻りたいと思っていながら、私は、陰の方に陰の方に、望んでいる自分とはかけ離れた自分になってしまっていたことに。何かの罰で病気になったわけでもないのに、私は自分自身を責め、それまでと同じように生活できないことに、「失格」の烙印を押し、苦しみの陰に隠れ続けていたのです。

Until that time I had been obsessed with being involved in every part of domestic life because that was how my own mother always behaved. それまで私は、全て自分が手をかけないと気が済まなくて、全て全てやるのが母親だと強くこだわっていました。それが私の理想の母親像でした。 But as I got ill, I couldn’t do anything, let alone everything, and in the end, as I was hospitalised, I had to leave my children. けれど、病気になって、全て全てどころか、全くできなくなり、終いには、入院生活で、子供たちと完全に離れてしまいました。

When I was forced to let go of this obsession to be the perfect mother – which used to torture me, body and soul – I realised it had not been worth all the sacrifice I had made. 自分の心身を苦しめたまでのこだわりは失ってみると、それほどの犠牲をはたく意味のあるこだわり(理想)ではなかったことに気づきました。

My family – even though I couldn’t cook for them or drop them off and pick them up at the kindergarten – still accepted me, believed in me and loved me, just like they always had done, as a wife and a mother. そして家族は、私が彼らのために料理を作れなくても、幼稚園の送り迎えができなくても、私を妻として、母として、以前と同じく、認め、信じ、愛してくれていました。

So I decided to step out into the sunlight and write a blog, called Kokoro, about my battle with cancer, and when I did that, many people empathised with me and prayed for me. 私は、そんな家族のために、誇らしい妻、強い母でありたいと思いました。私は、闘病をBlogで公表し、自ら、日向に出る決心をしました。

And they told me, through their comments, of their life experiences, how they faced and overcame their own hardships. It turned out that the world I was so scared of was full of warmth and love and I am now connected with more than one million readers.
すると、たくさんの方が共感し、私のために祈ってくれました。そして、苦しみに向き合い、乗り越えたそれぞれの人生の経験を、(コメント欄を通して)教えてくれました。私が怖れていた世界は、優しさと愛に溢れていました。今、100万人以上の読者の方と繋がっています。

If I died now, what would people think? “Poor thing, she was only 34”? “What a pity, leaving two young children”? 人の死は、病気であるかにかかわらず、いつ訪れるか分かりません。例えば、私が今死んだら、人はどう思うでしょうか。「まだ34歳の若さで、可哀想に」「小さな子供を残して、可哀想に」
でしょうか?? I don’t want people to think of me like that, because my illness isn’t what defines my life. 私は、そんなふうには思われたくありません。なぜなら、病気になったことが私の人生を代表する出来事ではないからです。

My life has been rich and colourful – I’ve achieved dreams, sometimes clawed my way through, and I met the love of my life. I’ve been blessed with two precious children. My family has loved me and I’ve loved them. 私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、愛する人に出会い、2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した、色どり豊かな人生だからです。だから、与えられた時間を、病気の色だけに支配されることは、やめました。

So I’ve decided not to allow the time I’ve been given be overshadowed entirely by disease. I will be who I want to be. なりたい自分になる。人生をより色どり豊かなものにするために。だって、人生は一度きりだから。

英文の出典 http://www.bbc.com/news/magazine-37861457
日本語版の出典 http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-38073955

 

英語訳で

because that was how my own mother always behaved

に対応する日本語の原文には自分の母親という言葉がはっきりとは出てきません。しかし、小林麻央のオフィシャルブログに投稿された記事「こだわり 2016-11-09 17:10:07」には、ほぼ同じ文章が登場しており、そこでは自分の母に関する言及があります。

私も実は、
病気になる前から
誇らしくない母でした。
なぜかというと
当然なれるだろうと思っていた
自分の母のような母に
なれなかったからです。
自信喪失でした。
私は、全て自分が手をかけないと
気が済まなくて、
全て全てやるのが母親だと
強くこだわっていました。
それが私の理想の母親像でした。

このエッセイの締めくくりの言葉「人生は一度きりだから」が英訳されていないので、別に記事「人生は一度きり You only live once」を書きました。